立山カルデラ行雑記/吉村司 2007年8月24日

 7月24日(火)平日であるにもかかわらず理事長兼世話人の大森さんほか約20名が参加してこの巡検は始まった。八王子駅を8時すぎにバスで出発して、一路中央高速を諏訪方面に向かった。バスの中では小泉先生から長野の地形と植生の話を聞いたり、堀内さんが調べた翡翠についてのかなり専門的な話を聞きながら諏訪についた。諏訪のインターで軽い食事をとるとともに池田さんが乗り込んできた。その後長野道を通って最初の目的地の糸魚川に向かった。

 日本海へ近づくにつれて、つい先日起こった新潟中越沖地震の話や柏崎原子力発電所の話題が出され、科学的な意見や原子力立地に対する賛否両論が出されて盛り上がった。バスはその後北陸道を通って糸魚川のインターを降りた。そこからは荒々しい日本海が見えるとともにこの地域の地質の特徴である石灰岩と水力発電を利用したセメント工場が左に見えた。この工場は時代の移り変わりに伴い、現在はIPP(独立発電事業者)として発電を行い電気は供給しているが、その発電規模は拍崎発電所の1/100程度でしかない。

 そこから一般道を通って小高い丘陵地の公園内にあるフォッサマグナミュージアムに向かった。このミュージアムでは地質専門家の宮島先生から懇切丁寧にフォッサマグナと翡翠の説明を受けた。とくに自分が最初の発見者でありながら、命名者になりそこねた岩石については熱く語られていた。これは自分の名前がついた岩石や鉱物が世界中に知られることは、地質学者にとっては名誉なことなのであろう。また翡翠についても金銭的に価値があるものはどういうものか、どのようにすれば見つけられるかなどの話があった。これらの話の地質的な部分はバスの中で事前に説明を受けていたので理解がみんな進んだのではないだろうか。

 その後、現在は建設業をやられておられる小野さんにつれられて翡翠の巡検を行った。この方はご自分の足で歩いて勉強されたので、地元のことも地質のこともよく理解されていて、説明も面白かった。話も40億年まえのことからつい最近の盗掘があったことまで非常に長い時間軸の話があった。行き先は、姫川沿いの石灰岩の大きな露頭と姫川の翡翠パークであった。

 参加者のなかにはハンマーを持って翡翠を採集する意欲満々の人(実は私)もいたが、なんと巡検先は採取禁止の地域であった。次回は海岸など採取可能なところに行きたいものである。価値ある翡翠を自分で見つけてわが家の宝にしたいものである。 すこし、雨が降りそうな雰囲気のなか、翡翠のことを思いながら、−路北陸道を立山方面に向かった。この道中、糸魚川まで出迎えてくれた立山カルデラ砂防博物館の菊川さんが、事前情報として富山県や立山カルデラのことを説明してくださった。地元の会社の方が作られた立山連峰の写真のように、北陸道からは立山連峰の全貌を見ることができた。また、ときどき道の右側には日本海を見ることができた。この地域は北部フォッサマグナ地域内にあるので、地震も多く、地すべりも多発している。今回も行く途中で江戸時代に一村全部が地すべりでなくなったという岬の先端の村の話が小泉先生からあった。連れ合いを亡くした人同士が夫婦になって村を維持したそうである。

 立山有料道路に入る頃には天気が悪くなり、日本一の高さを持つ称名滝も大観台展望台から上部のほうは見ることができたが、全貌を見ることは出来なかった。道路の標高が上がって、弥陀ケ原につくころには晴れてきて、足下に雲海を見ることができた。そしてこの雰囲気はなんとなく幻想的で、今回の運転手さんがもっとも好きな光景であると言っていた。この雰囲気を楽しみながら到着約束時間ぎりぎりに今回の宿泊先である立山荘についた。宿には林間学校で来ている小学生の団体がいた。そのほかの個人客は少なかった。やはり、夏休みの初めとしても平日であるためであろうか。

 宿は少し騒がしかったが、自然のなかで育つ子供たちをみているとこれからの日本の将来も少しは明るくなるのかなと思った。これらの小学生は夜中に星の観察会を行っていた。昼は空に雲があったが、夜は霧も晴れて天の川が見えるくらい澄んでいた。我々は少しの酒を飲みながら夕食を終えた後、集会室で立山カルデラ砂防博物館の飯田先生から立山についての話をビデオを含めて聞いた。みんなは眠い中、明日行く立山カルデラについての十分な事前知識を得ることができた。

 7月26日は、早朝から起きて弥陀ヶ原や立山カルデラ展望台を散歩する人もいたが、皆は小学生の食事前に食事を済ませて立山カルデラ展望台に行った。 早朝には富山の町が見えるくらい晴れていたのに時間がたつにつれて雲が上がってきてだんだん曇ってきて、カルデラ展望台にいくころには小雨が降るようにまでなってきた。それで、展望台からは、昔の温泉宿跡までは見ることはできなかったが、外輪山やカルデラ壁や大鳶崩れなどは霧の向こうに見ることができた。立山には何度か来ているが、こんなところにこんな大きなカルデラがあることは知らなかった。また、このカルデラの成因が、マグマ噴出による陥没ではなく、カルデラ壁の崩壊により形成されたカルデラであることを聞いて驚いた。この展望台でカルデラの全体像を掴んだ後に、マイクロバスに戻り、移動した。

 ヘルメット等を受け取るために立山カルデラ砂防博物館に立ち寄った。その途中滝見台から、昨日は雨で見えなかった称名滝の全貌をみることができた。やはり日本一の高さを実感するとともに自然の力強さに感動した。この滝は落差は350mあり、日本の滝100選(世界100名滝?)にも選定されている。雪解けの水がもっとあるときにはすごい迫力だろうと感じた。

 立山カルデラの中に入る前に、跡津川断層の露頭のあるところに立ち寄った。ここは砂防ダムを作る際に作った林道の法面に出てきたもので、高さも20m以上見えており迫力ものである。この断層は白山のほうまで続く60km以上の大活断層であり、これが動けばマグニチュード7以上の大地震が起こるそうである。この断層が動かないことを祈りながら立山カルデラの中に向かった。 この後、バスで内部のカルデラ壁が見える六九谷展望台に行った。現在はここまでバスで来ることができるようになったが、昔は歩いて富山から来るしかなく、立山温泉に何日も滞在したことであろう。また初期の登山では立山のほうから松尾峠を通って、この温泉に来て登山の疲れを癒した登山家も多かったであろう。カルデラの中に入ってカルデラを見るとやはりこの大きさが実感できた。大鳶崩れや移動塊などを見て、ここの地殻変動の激しさを感じた。

 昔は湯治客や登山家で賑わっていた立山温泉跡には、さびた金庫が残されていた。また温泉のタイルなども昔のままに残っていた。ここはそれなりの繁栄をかなりの期間謳歌していたが、地震や水害による土砂災害により埋まってしまっている。これを防ぐために砂防ダムがたくさん明治時代(明治39年)から作られている。ここに砂防始まるという碑もある。

 ここの温泉で、トロッコでやってきた体験学習の人たちと会うことができた。この体験学習の人たちも自然の活動に驚いていたようである。私たちも飯田さんや菊川さんから立山カルデラについての技術的なことや学術的なことをいつばい学ぶことが出来た。 少し気になるのは自然に任せるのではなく、砂防ダムを作って下流の被害を減らそうとしていることである。これによって、下流の富山などの町は非常な恩恵を受けているのであろうが、この自然の大きな営みを見るにつけて、ほんとうに人間が自然に立ち向かっていけるのかと思う。人工的なものでこの大きな自然に最後まで立ち向かえるのか?人間が生きていくには自然に立ち向かっていくしかないが、自然をどこまで破壊し、制御していくのがよいのか?このようなことを考えながら立山カルデラを後にした。

 高速道路に乗る前にビールや日本酒(立山)などを買い込み、途中のドライプインで富山の鰭寿司を買い、みんな満足して帰途についた。